| お詫び : 「09年8月現在、平成21年「中山道桶川宿 かがり火狂言」公演の開催は未定です」 |
| 平成20年は予算上の問題から公演は休止のやむなきにいたりました。世話人一同、心からお詫び申し上げます。_かがり火狂言実行委員会 |
| 大蔵流 京都 茂山家 「お豆腐狂言」_公演 |

公演時に狂言の解説を・・
(茂山あきら氏) |
その昔、狂言や能が一部の特別な階層の人々だけのもので、能舞台以外での上演などはいけないと考えていた時代に、二世茂山千作は地蔵盆・結婚式・お祝い の会など色々なところに出向いては狂言を演じつづけ、仲間からどこにでも出て行く「お豆腐のような奴だ」といわれました。
京都では常々おかずに困ったら 「お豆腐にでもしとこか」などといいます。それと同じように「茂山の狂言はお豆腐や」と悪口を言われました。
しかし千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所 でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい。」と、悪口を逆手にとりました。
それ以来、茂山家ではこれ家訓としてこれを語り伝え、「余興に困ったら、茂山の狂言にでもしとこか」と、気軽に呼ばれることをむしろ喜びたいと思っています。
いつの世も、どなたからも広く愛される、飽きのこない、そして味わい深い。そんな「お豆腐狂言」を、広めていきたいと考えております ________________(「茂山家 お豆腐狂言」ホームページより抜粋)
|
| 「桶川宿本陣 かがり火狂言」 公演にご出演された方々 |
 |
茂山千之丞
3歳の時 狂言「以呂波」のシテにて初舞台以来、戦後、兄の千作と共に、狂言の普及に努める。古典の狂言だけでなく復曲・新作狂言、オペラ「魔笛」や「瓜子姫とあまんじゃく」等の出演も多数手掛ける。
2006年桶川宿本陣での公演に出演
|
 |
茂山あきら
3歳の時 狂言「以呂波」のシテにて初舞台以来、「三番三」「釣狐」「花子」を披く。
1976年、花形狂言会を発足。従兄弟の正義(現 千五郎)、眞吾(現 七五三)と主宰する。
古典狂言のみならず、小松左京作SF狂言「狐と宇宙人」他、『木竜うるし』(1978)『死神』(1981)等の新作狂言や千年振りの復曲「袈裟求」など演じ、狂言の大衆化に力を注いできた。
本陣の「かがり火腐狂言」では、2007年公演までメインで連続出演 |
 |
茂山童司
3歳の時、父あきらの主宰する「NOHO(能法)劇団」の『魔法使いの弟子』にて初舞台。また、狂言『以呂波』にて初シテを勤める。1995年に、茂、宗彦、逸平が結成した「花形狂言少年隊」に入隊、共に活動する。最年少ながら色々な役に積極的に取り組んだ。また2000年より「心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=TOPPA!」を千三郎、正邦、宗彦、茂、逸平と共に主催し、活動。2006年より「HANAGATA」を正邦、宗彦、茂、逸平と共に再開
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで連続出演。
子どものための「狂言ワークショップでは講師を勤めている
|
 |
茂山正邦
4歳の時に『以呂波』のシテにて初舞台。その後『千歳』『三番三』を披く。
1993年、花形狂言会に入会と同時に、同会にて大曲『釣狐』披く。
1995年より東京に於いて『狂言小劇場』を弟の茂、従兄弟の宗彦、逸平らと年4回の公演を約10年間続けた。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演。 |
 |
茂山宗彦(モトヒコ)
4歳の時『以呂波』のシテにて初舞台。その後『千歳』『三番三』を披く。
1994年に従兄弟の茂山 茂・弟の茂山 逸平 らと共に「花形狂言少年隊」を結成。旗揚げ公演以来、若い世代に照準をあわせた「花形狂言少年隊」の活動は、若者を中心とした観客に熱烈な支持を得てNHKの番組「トップランナー」にも取り上げられた。1995年、東京にて狂言小劇場の公演を正邦・茂・逸平と開始。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演 |
 |
茂山 茂
4歳の時に 小舞『柳の下』にて初舞台。その後『千歳』『三番三』『釣狐』を披く。
1994年から従兄弟の茂山宗彦・逸平らと共に「花形狂言少年隊」を結成。同年の旗揚げ公演以来、毎年「花形狂言少年隊」としての自主公演をおこなった。舞台で活躍している狂言師が同年代ということで、若年層の観客が狂言を身近に感じ、各地の狂言会にも若者の観客が目に見えて多くなったという点において、
「花形狂言少年隊」の功績は大きい。また、東京において「狂言小劇場」を兄の正邦、従兄弟の茂山宗彦・逸平らと1995年から2004年まで続けてきた。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演 |
 |
茂山逸平
4歳の時『業平餅』の童にて初舞台。その後『千歳』『三番三』『釣狐』を披く。
1994年に、宗彦、茂と「花形狂言少年隊」を結成し活躍する。また2000年より心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会=「TOPPA!」を千三郎、正邦、宗彦、茂、童司と共に主催し、活動。1995年、東京にて狂言小劇場の公演を開始。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演 |
 |
網谷正美
1965年、京都大学入学と同時に、同大学狂言研究会に入会して木村正雄に師事。
能楽養成会に入会し四世千作に師事。それとともに同志社高等学校に勤務。二足のわらじを履つつ現在に至る。1984年に、同門 丸石やすし・松本薫らと共に「三笑会」を結成。京都府立芸術会館主催「狂言
勉強会」(現在 狂言三笑会)を自分たちの勉強の場、発表の場として年間5回の公演を催しており、公演回数は120回を既に数えている。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演 |
 |
丸石やすし
茂山 千之丞と『運命の出会い』(自称)があり入門。
NOHO劇団公演を含め、海外公演にも多数参加。
1984年に、同門 網谷 正美・松本 薫らと共に「三笑会」を結成。京都府立芸術会館主催「狂言 勉強会(現在 狂言三笑会)」を自分たちの勉強の場、発表の場として年間5回の公演を催しており、公演回数は120回を既に数えている。
本陣の「かがり火狂言」では、2007年公演まで複数回出演 |
| 過去の公演記録より |

__ _______ |
| 狂言は桶川宿本陣「上段の間」を舞台に畳廊下と庭に仮設の桟敷を観客席として公演する |
| 狂言ワークショップの記録より |
__
ワークショップは小学生以下を対象に、狂言の動作の意味を理解し、その一部を実際に体験する
又、体験後、子供たちだけで実際に演じてもらっている |
| 2004年・2006年 公演ポスター |
__ |